「暦の上では春」という言葉を理解したくない
こんばんは、WoodlLetterという者です。
さて、「節分」という「鬼」と呼ばれる人物に対して、大豆を投げつけて追い出そうと試みる排他主義的なイベントが終わり、「立春」を迎えて暦の上では春を迎えようと・・・
ちょっと待ってください、「暦の上では春」ってなんでしょうか?
この時期になると、お天気キャスターは誰も彼もが「暦の上では春」と言います。しかしあまりにも実情に反しているのではないかと私は考えます。
そこで、過去20年間の2/4の東京での最高気温及び最低気温の平均をこちら(東京の過去の天気 2月4日 - goo天気)を参考に求めてみると、
平均最高気温:9.74℃
平均最低気温:2.75℃
寒いっ!
どう考えても寒い。せめて気温が2桁を超えてから春を名乗ってほしいものです。
ただし、この「暦の上では春」というのは明治時代以前に用いられていた旧暦の話。
実際に旧暦を今の暦に照らし合わせると、2019年の場合は3/10に「暦の上では春」を迎えることになり、(年によって日は異なりますが、だいたい3月のどこか)2月初旬よりは暖かな時期に春を迎えることになります。
そうするとやはり理解できないのは「暦の上では春」でしょう。
我々現代日本人は「太陽暦」とも呼ばれる1年がおよそ365日で構成されている暦を普段使いしています。そんな常識の中で生きていると、急に出てくる「暦の上では春」という言葉。
この言葉はあくまでも「太陰暦」とも呼ばれた旧暦上の概念ですので、現代の暦には適合しないはずなのです。
それにも関わらず、世の中に蔓延るこの表現。
例えるならば、スマホでネット記事を読んでいる際に横から急に「でも江戸時代だったら瓦版だったよね。」と口を挟まれるようなものでしょうか。
なにが「でも」なんでしょうか。接続詞の使い方が意味不明です。
率直に言えば、この様な表現をする輩は嫌われる以前に関わらないほうが良い人間扱いされてしまうことは請け合いでしょう。
と、ここまで書いたはいいんですが、今日(2019/02/04)の東京での最高気温は19.4℃。平年よりおよそ10℃高く、4月中旬並みの気温です。
そういえば朝起きて窓を開けた際、鼻孔を春の香りがくすぐってきたことを思い出しました。
すいません。どう考えても今日は春です。前言撤回します。
以上、関わらないほうが良い人間の日記でした。