WoodLetter日記

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「貧乳」という言葉を見直すべきだ

 こんばんは、WoodLetterです。普段は鹿が表に出て活動しています。さて、この記事から7日目、ようやく日報という名の毎日更新を終えられます。明日からは無人島で二足歩行の動物と遊ぶので忙しいので、不定期更新になります。

 

 

 さて、私の1日など書いても、「朝早く起きてボーッとしていました」で終わりなので、今日起こった出来事を書かず、かねてより主張したいなと考えていたことを書き綴りたいと思います。

 

 


 私は「貧乳」という言葉を廃絶するべきだと考えている。

 


 この時点で「その通り」だと思った変態は回れ右をしてワコールにでも行ってくれて構わない。納得しない巨乳ファシストの方々は是非、私の日報という名の主張を読んでいってほしい。

 


 まず、貧乳という言葉には「貧」という漢字が含まれている。勿論、意味は「貧しい」だの「欠乏している」というネガティブな意味である。しかし、豊かさや貧しさといった概念は、地域や時代は勿論のこと、個々人によって変わるものであり、一概に「こうだ」と言えるものではない。ましてや、見た目の好みなど言うまでもなく千差万別である。

 一例を上げると、17世紀までの欧州では、女性はコルセットを着用することで、胸を平らに見せていたと言われている。また、古代ギリシアの彫像に表現されている男性器も良い例であろう。現在では、大きければ大きいほど男性らしさを誇示できるという考えが主流だが、古代ギリシアではむしろ「色欲」「醜さ」の象徴であり、この考えに基づいて小振り表現されていたという。
 以上のことから、現状用いられている「貧乳」という言葉が極めて主観的であることが分かる。こうした考えの押しつけは、表現の多様性が尊ばれる昨今の潮流に歯向かっているようにも感じられる。

 



 また、仮に「貧乳」という言葉が正しかったとすれば、その対義語に矛盾が生じる。
 それが「巨乳」である。

 「貧」の反対は「豊」であることは言うまでもない。しかし、現状「豊乳」という言葉は全く浸透しておらず、あろうことかGoogle検索では豊胸手術が出てくる始末である。



 前述の通り、本来胸に貧富など定義できるものではない。しかし、ある特定の胸が巨乳であるかどうかの正確な定義は、1000人程のバストサイズを統計に取れば容易くできる。無論、現状用いられている「巨乳」という言葉が主観的・相対的であるのは否めないが、正しく事実を指摘しようというならば、統計に基づいた「巨乳」、そして対義語として、「小乳」という言葉を用いるべきであろう。

 


 もっとも「ケチのつけようがない」というだけであって、諸手を挙げて賛同出来る言葉ではないし、もし日常生活でこのような言葉を用いた日には、間違いなく地方裁判所に出廷することになるだろうが。

 


 以上のことから、貧乳という言葉がナンセンスで、知性の欠片も感じられない言葉だということが分かる。こうした主観的な言葉はグローバル化が進み、相互理解が重要になってくる世論の流れに逆らっているように感じる。

 

 


 また、上記のようなことを男性が主張すると、十中八九セクシュアル・ハラスメントであるので、是非女性の方々から声を上げていただきたい。

 

 


 末筆ではあるが、この世すべてのクリエイターに多大なる敬意と謝意を示し、男の娘と女の子は全く異なるものであると主張した上で、本日の日報としたい。

 

 

 ご拝読、ありがとうございました。1週間の最後がこれで本当に申し訳ありません。