「お前には理解できない」とか言う人は本当に理解しているのかという疑問。
はじめに
お初にお目にかかります。
こんばんは、WoodLetterという者です。
この記事は私の愚痴が主題ですので、ご注意ください。
主題
さて先日、私は上の者に呼び出されてこんな言葉をいただきました。
「お前は分かったようにして私の話を聞いているが、本当は分かっていない。」
まぁ
- 「分かるように伝えるのが貴方の仕事では無いのか。」
- 「それならわざわざ何のために貴方は私を呼び出したのか。」
- 「そもそもお前の言葉が『分かる』価値があると誰が保証してくれるのか。」
とか小生意気な疑問点は沢山あるんですけど、この言葉を聞いた時に私が一番思うのが、
「本当に貴方は『理解している人間』なのか。」
という言葉につきます。
いや、「理解していない」私のような者が申し上げるのは恐れ多いことではあると思うんですけど、この言葉が浮かんできてしまうのです。
というか「俺は理解している」というマウントにしか感じないんです。
だってそりゃそうでしょ、だって貴方が言った言葉を貴方自身が理解できていないのであれば、それはもう哲学でしょうよ。まぁよく知らんけど。
まぁ「生意気な奴に仕方なく言っている。」と言われれば、それまでなのでしょう。
しかし生意気な若者ムーブを放つ私からしてみると、シシャモの小骨と同じくらいには引っかかる言葉なのです。
そして「理解しているのか」という疑問とともに思い浮かぶのがこの曲、
そうです。 国民的ヒーロー、日本で一番有名なパンが主人公のアニメこと「それいけ!アンパンマン」のOP曲で著名な「アンパンマンのマーチ」です。
僭越ながら、アニメ「それいけ!アンパンマン」について簡単に説明させていただきますと、
- 1988年秋開始の幼児向けアニメ。放送開始から2019年冬現在に至るまでの123クールに渡り、全国の幼児層をメインとして絶大な人気と知名度を誇り続ける。日本テレビにおいては、2016年春の番組改編以降、毎週金曜AM10:55〜11:25の30分間放映されている。(幼稚園・保育園に通う子どもが見れない時間帯。)
ソースがWikipediaなことに心配を抱く諸兄もいらっしゃるとは思いますが、私の知る限りではインターネット上でアンパンマンについて詳しく書かれたアクティブなサイトはここであると思う次第ですので、ご理解いただければ幸いです。
さて、 「アンパンマンのマーチ」「理解」という言葉が二つ並んだことから、お察しの方も多いと思われますが、単刀直入に申し上げますと、この曲を「理解」出来る人はいるのでしょうか?
まずは出だしから引用してみましょう
そうだ うれしいんだ
生(い)きる よろこび
たとえ 胸(むね)の傷(きず)が痛んでも
(アンパンマンのマーチ 作詞:やなせたかし)
はい。出だしから重みのある歌詞です。
年間約2万1000人の方が自殺をしている(厚労省統計)この現代。生きているだけで喜びであるというこの考え方は、現代を生きる我々に投げかけられた問いであると解釈することもできるのではないでしょうか。
この序文だけでも「理解」に難き歌詞であることがお分かりいただけたのではないかと思います。
次に、曲の中でも特に有名な節を引用してみます
なんのために 生(う)まれて
なにをして 生(い)きるのか
こたえられないなんて
そんなのは いやだ!
(アンパンマンのマーチ 作詞:やなせたかし)
人の核心をついたような一文。人としてのあり方を表すのに最も単純かつ一番響く言葉なのではないでしょうか。
特に自分自身を見失っている方にとっては、辛くとも重く、また希望に満ちている歌詞に強く感じるのではないかと推測します。迷走とは違います。
人としてのあり方を表す―――
一見としてシンプルなようでありますが、それ故に「理解」するのが難しくなる効果を生み出していると考えます。
続いてこちらの歌詞
忘(わす)れないで 夢(ゆめ)を
こぼさないで 涙(なみだ)
(アンパンマンのマーチ 作詞:やなせたかし)
どの角度から読んでみても、到底幼児向けアニメの主題歌とは考えにくいこの一文。
前述の歌詞に引き続き、人としての在り方について歌っている一文であると私は解釈します。
幼い頃に抱いていた夢や希望―――
そういったものを忘れないでほしいと訴えかけていることから、この歌詞は子どもに向けられている体裁をとりながらも、実際には成長してしまった人へ向けて訴えかけているのでは無いかと考えます。
とくに「涙」という部分では殊更にそうであると言えるでしょう。多くの場合、子どもは周りの大人に怒られたときや、友達とケンカした際に「怒り」から涙を流すものであって、感動や自らの不甲斐なさなど「哀しみ」から涙を流す機会は皆無に等しいと考えられます。
また、「涙」という節が歌われる前に「忘れないで 夢を」と歌われていることから、ここで流される涙は、夢を忘れるような状況下において流される「哀しみ」の涙であると推量することができ、このことも歌詞をやや難解なものにしていると思います。
最後にこちらの歌詞
愛(あい)と 勇気(ゆうき)だけが ともだちさ
(アンパンマンのマーチ 作詞:やなせたかし)
正直なところ、私にはこの歌詞の意味を推量することすらままなりません。
いや、この積み上がってゆく富の象徴---汚れきった摩天楼の下で生きる人間には、もう推量することすらも許されなくなってしまったのでしょう。
悪を許容し、自らの利潤を追求する---成長という名の妥協が我々を縛りつけ、最終的には何も残らない。そんなアンチテーゼが隠れているのではないでしょうか。
終わりに
さて、このように一見何気のない、アニメの曲だと見過ごしてしまう場所にも「理解」するには困難とも言える歌詞が隠れています。
特に「アンパンマンのマーチ」のように作り手の想いが現れている曲では尚のことでしょう。
今回、私が取り上げたのはその一部に過ぎず、実際に全文を読んだ際には、全く違う印象やここでの解釈が的外れであると思う場合も多いのでは無いかと思います。なんせ私は「理解していない」側の人間ですので。
本当に貴方は理解できている人間でしょうか?
そもそも「理解できている」とは何なのでしょうか?
このブログはそういった「理解」に対して目を瞑り、考えることを放棄するアプローチを試みたいと考えています。
※この記事の信憑性等は一切保証いたしません。
引用元
「アンパンマンのマーチ」作詞:やなせたかし
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