WoodLetter日記

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「茶」という言葉からアヘン戦争を連想した日

 こんばんは、WoodLetterという者です。普段は鹿とコンビを組んでWoodLetterと名乗っています。さて、この間の記事に書いたように、茶を摂取してしまったので、日報を書いていきます。

 

 前半と後半で全然違うことを書いていますが、これは賢い文章を書こうとして失敗したということです。書き直すと、今日中に日報が終わらなくなってペナルティでプラス1週間されるので、書き直しませんでした。

 どうか生暖かい目でご一読ください。

 

 

 

 昨日の日報では、自らの器量の狭さについて披露したので、今日の日報は茶を禁止して気づいたことについて書こうと思う。一言で言うならば、今日の日報は中学社会の振り返りだ。日連続で書いているわけだし、好きだった分野の話をしても構わない頃合いだろう。

 

 

 茶を禁止されて、苛立ちを覚えたのは先日の日報の通りだが、その苛立ちの中で私は一つの歴史上の出来事を連想した。それが1840年に勃発したアヘン戦争である。

 

 中等教育をしっかりと受けている人間ならば存じている出来事だとは思うし、もしかしたら世界中どこの教育機関でも教えているのかもしれないが、簡単に説明させていただくと、中国(当時は清)と英国の間で起きた戦争で、アジアにおける大英帝国の植民地支配の切掛となった出来事である。

 

 この時点で感づくかもしれないが、この戦争が引き起こされた要因に「茶」が挙げられる。当時、英国は茶を中国から輸入していたものの、英国自体から輸出するものは少なく、当時の正貨である銀が流出しつづけており、これを嫌った英国が中国に対して、麻薬であるアヘンを密輸出した。当然、中国政府はこれを取り締まるわけだが、この対応に対して、英国が逆上して戦争へと発展することとなったらしい。

 

 

 勿論、19世紀の大英帝国の所業を鑑みれば、領土的野心が戦争の要因の大半を占めていたと考えるのが普通であろう。実際にアヘン戦争後、英国は香港の支配権を中国から「借りる」という名目で奪い取っている。

 

 しかし、茶を禁止されている私の立場からすれば、非常に不謹慎ながらも、茶だけでも戦争を「引き起こしかねない」と感じてしまったのだ。たがが嗜好品ごときになぜそこまでと思うかもしれないが、ここで私は茶の禁止を通して、あることに気づくことができた。

 

 

 

 それが、人間何かしらの嗜好品に依存性の多寡を問わず、依存しているものであるということだ。それが酒であるか、甘味であるか、或いはまた違ったものかもしれないが、何にも「依存」していないと言い切れる人は少ないのではないだろうか。そういった意味では私も「茶」に対して軽く依存していたことになる。当然、薬物のように嗜好品より遥かに大きな害を与えるものに依存しているのは問題だが。

 

 

 そして、もしこの「依存」に悩んでいる方がいるのならば、私は「日報」を強く薦める。自ら依存している物品を禁止し、もし破ってしまったら日報を1週間書き続けるというシステムだ。日報を疎んで、依存度を下げることができたならば一番だ。万が一欲望に負け続けたとしても、自分自身に向き合うことでの成長や、文章力の向上が期待できる。

 

 

 論理が3回転アクセルくらいに飛んでいるのは承知の上だ。正直に言おう、文章を書くのは好きだが、自らだけ日報を書く現状に全く納得がいかないのだ。なので皆さんにも同じタスクを共有してほしいという気持ちがあるので、前述の地点に着地させた。長い前フリもその為だ。

 

 

 末筆ではあるが、欲望に負け続けた上、成長も文章力の向上が怪しい我が友人・りょーたろー君と、コーヒーに高い関税を掛け、朝のコーヒーの代わりにビールを飲むことを推奨したプロイセンのフリードリヒ大王に多大なる敬意を払い、本日の日報としたい。

 

 ご拝読、ありがとうございました。

 

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