3ヶ月「茶」を取らず、狭量になってきた話
こんばんは、WoodLetterという者です。普段は鹿と戯れています。前の記事に書いたとおり、日報を1週間書く羽目になりました。この記事はその3日目です。具体的に言うと、1日くらいチョロマカシてもバレないんじゃないか、と思い始める頃合いでもあります。
日報も3日目、今日で前半戦が終了といったところだろうか。忘れ続けたせいで、いつまで経っても前半戦のりょーたろー君はどの様な心持ちで日報を書き続けているのかが気になる。
さて、今日はここ3ヶ月の間、茶を摂取しなかったことでの変化を3つほど書こうと思う。書かないともう1週間増えるので。
まず、1つ目は、街なかで茶を飲んでいる人間に対して、僅かばかりの殺意を抱いたことだろう。自分は飲めないのに他の連中が飲んでいるというのは、理不尽を承知の上でも腹立たしく感じる。
特に「とりあえずお茶でいいかな」なんて言うヤツには、静岡の茶農家に変わって天誅を下したい気分だ。貴様が「とりあえず」で飲んでいる茶は、1年間掛けて生育させた手間暇のかかっている代物だ。本来、伊右衛門は貴様如きが飲んでいいものではないのだと思い知らせてやりたい、貴様には出涸らしですらもったいないということを。
2つ目は「茶」という言葉そのものに敏感になったことだろう。
日本には古くより、「お茶でも飲みますか」や「お茶しませんか」という言葉がある。ネイティブなジャパニーズの人たちは知ってのとおりだが、この場合の「茶」とは飲み物全般だったり休息のことを差す。
これを知っているか知らないかで日本人受けが随分違うので、海外出身の方にはぜひ覚えていただきたい。たぶん日本語検定2級くらいに出ている。
しかし、この前提を知っていても、自らが「茶を飲めない」環境下に置かれると、逆鱗で爪を研がれる様な苛立ちを感じる。特に、この縛りプレイを一緒にやってる奴に上記のような言葉を言われると、本当に宣戦布告ではないかと感じることもままある。
3つ目は緑色のモノに過敏になったことだろう。
ガチャピンのことではなく、主にスーパーやコンビニに売っている緑色の商品のことだ。知っての通り、日本には抹茶味のモノが溢れており、往々にして緑色のパッケージだ。
さらに、気を利かせたのか、私への嫌がらせなのかは分からないが、ご丁寧に抹茶味のモノを一箇所にまとめており、商品棚に擬似的な茶畑が完成していることも少なくはない。
目には優しいが、精神には確かに打撃を与えてくる「緑」に対して、自衛反応という名の苛立ちを感じながら、売れ残り商品の宴とも言うべき夜のスーパーを駆け抜けて生活している。特にイチゴとチョコのシーズンも終わり、次は「緑」が群れをなして襲ってくることを考えると、カフェインを摂取していないのに夜も眠れない。
ここまで書いて、私にはカテキンじゃなくてカルシウムが不足しているんじゃないかと感じた。このままでは性格の悪いヤツと思われるので、明日は茶を摂取しないことで気づけたことについて書こうと思う。
私が遊びに行くたびに「茶でも飲む?」と聞いてくるりょーたろー君と、雨にも風にも負けず、日夜茶畑の世話をしている茶摘みレディの強靭なメンタルに敬意を払い、本日の日報としたい。
夏も近づく八十八夜、それまで私は耐えられるだろうか?まぁ、耐えられていないからこうして日報を綴っているのだが。
以上、本日3/15の日報でした。ご精読、ありがとうございました。