WoodLetter日記

この日記の信憑性は一切保証しません。また、一切の責任も負いません。

「貧乳」という言葉を見直すべきだ

 こんばんは、WoodLetterです。普段は鹿が表に出て活動しています。さて、この記事から7日目、ようやく日報という名の毎日更新を終えられます。明日からは無人島で二足歩行の動物と遊ぶので忙しいので、不定期更新になります。

 

 

 さて、私の1日など書いても、「朝早く起きてボーッとしていました」で終わりなので、今日起こった出来事を書かず、かねてより主張したいなと考えていたことを書き綴りたいと思います。

 

 


 私は「貧乳」という言葉を廃絶するべきだと考えている。

 


 この時点で「その通り」だと思った変態は回れ右をしてワコールにでも行ってくれて構わない。納得しない巨乳ファシストの方々は是非、私の日報という名の主張を読んでいってほしい。

 


 まず、貧乳という言葉には「貧」という漢字が含まれている。勿論、意味は「貧しい」だの「欠乏している」というネガティブな意味である。しかし、豊かさや貧しさといった概念は、地域や時代は勿論のこと、個々人によって変わるものであり、一概に「こうだ」と言えるものではない。ましてや、見た目の好みなど言うまでもなく千差万別である。

 一例を上げると、17世紀までの欧州では、女性はコルセットを着用することで、胸を平らに見せていたと言われている。また、古代ギリシアの彫像に表現されている男性器も良い例であろう。現在では、大きければ大きいほど男性らしさを誇示できるという考えが主流だが、古代ギリシアではむしろ「色欲」「醜さ」の象徴であり、この考えに基づいて小振り表現されていたという。
 以上のことから、現状用いられている「貧乳」という言葉が極めて主観的であることが分かる。こうした考えの押しつけは、表現の多様性が尊ばれる昨今の潮流に歯向かっているようにも感じられる。

 



 また、仮に「貧乳」という言葉が正しかったとすれば、その対義語に矛盾が生じる。
 それが「巨乳」である。

 「貧」の反対は「豊」であることは言うまでもない。しかし、現状「豊乳」という言葉は全く浸透しておらず、あろうことかGoogle検索では豊胸手術が出てくる始末である。



 前述の通り、本来胸に貧富など定義できるものではない。しかし、ある特定の胸が巨乳であるかどうかの正確な定義は、1000人程のバストサイズを統計に取れば容易くできる。無論、現状用いられている「巨乳」という言葉が主観的・相対的であるのは否めないが、正しく事実を指摘しようというならば、統計に基づいた「巨乳」、そして対義語として、「小乳」という言葉を用いるべきであろう。

 


 もっとも「ケチのつけようがない」というだけであって、諸手を挙げて賛同出来る言葉ではないし、もし日常生活でこのような言葉を用いた日には、間違いなく地方裁判所に出廷することになるだろうが。

 


 以上のことから、貧乳という言葉がナンセンスで、知性の欠片も感じられない言葉だということが分かる。こうした主観的な言葉はグローバル化が進み、相互理解が重要になってくる世論の流れに逆らっているように感じる。

 

 


 また、上記のようなことを男性が主張すると、十中八九セクシュアル・ハラスメントであるので、是非女性の方々から声を上げていただきたい。

 

 


 末筆ではあるが、この世すべてのクリエイターに多大なる敬意と謝意を示し、男の娘と女の子は全く異なるものであると主張した上で、本日の日報としたい。

 

 

 ご拝読、ありがとうございました。1週間の最後がこれで本当に申し訳ありません。

道端に咲いたまるごとソーセージの話

 こんばんは、WoodLetterという者です。普段は名前が長いという理不尽な理由でウレタンと呼ばれています。早速本日の日報です。日報を書く経緯についてはコチラを参照してください。

 

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 日報も早いもので6日目だ。聖書の創世記だと、人間を始めとした地を這う生き物が造られた日らしい。しかし、極稀に地を這うべきでないモノが地を這っていることもある。

 

 

 

 「まるごとソーセージ」である。

 

 

 

 夕方の、客数の多いスーパーの目の前の丁字路の角を、まるごとソーセージは間違いなく這いつくばっていたのだ。どんな経緯があって、それが歩道に咲く一輪の花となったかは定かではない。一つ分かっていることといえば、私の目の前で赤信号を待つ老爺も、後ろで自転車にまたがっている中年の女性も、それに関心を示しながらも、所有者ではないということだ。もちろん私もその一人である。

 

 

 まだヤマザキ春のパン祭りのシールも剥がされていないそれがなぜ、歩行者とともに信号待ちをしているのか。勿論、最初はそれを意気揚々と買った客が、気持ちが逸るあまりに落としたことに気づかなかったのだと考えた。

 しかし、同時に私の中である疑念が走る。

 

 

「仮にパンを落としたとして、気づかないことがあるのだろうか」と。

 

 

 何らかの拍子で落とすことはあるだろう。だが、多くの場合は落下音で気づくだろう。もし、気づかなかったとしても、他の買い物帰りの客がそれに気づき、落としたと想定される人に声を掛けるだろう。

 

 

 だが、もしこれが「わざと落とされたモノ」だったらどうだろうか。信号が変わる寸前でそれをわざとらしく、だがしかし正確に落として、青信号を走り抜けていったのだと考えれば、本来地を這うはずのないそれが存在するのも理解に難くない。まるで梶井基次郎の「檸檬」のような心境を持った犯人の手によって、それは地を這うことになったのかもしれない。

 

 ただし、檸檬でもなければ、丸善でもないのでそこに文学性は希薄だ。もし、梶井基次郎が「まるごとソーセージ」という短編小説を書いたとしたら、間違いなくその名を後世に残すことはできなかったであろう。

 

 

 さて、アスファルトに横臥する、健康の対義語のような彼を見ながら、私はある思いつきをしてしまった。

 

 

 「まだ食べられるのではないか」

 

 

 白い皿と引き換えられるシールも剥がされておらず、いわんや開封された痕跡も一切見えない。確かにそれは地面というアウトローに存在しているが、彼は菓子パン棚という秩序の中に存在する、他の同種の連中と何ら遜色のない状態である。

 

 卑しい。余りにも卑しく、到底文明人とは思えない発想だろう。だがそれを拾ったところで現実問題咎められることもないだろう。その背徳感が100円程度の彼に輝きをもたらしているように思えた。

 

 幸いにして、私にはモラルという名のプライドが備わっていた。私はそれを拾い上げることもなく、しかし確かに彼に対して爆弾の様な輝きを覚えながら青に変わった信号を渡ったのであった。

 

 

 さて、ここまで書いてその後「まるごとソーセージ」がどうなったか気になってきた。彼との一時の逢瀬はこのパラグラフを記述する丁度2時間前の出来事である。幸いにして外は春の夜風に包まれていて、無駄に散歩するのに抵抗のない状態だ。ここまで書いた私には彼がどうなったかを見遂げる義務があるように感じる。

 なので今から行ってこようと思う。

 

 

 

 ……夜の住宅街を走り抜ける。暴君に友を人質に取られたメロスに思いを馳せ、シラクサではないどこかを確かに走る。頼む、このままではこの日報の信頼性すら怪しい。

 

 

 件の丁字路にたどり着いた。一瞥するが、彼の姿は見当たらない。悪辣な誰かによって足蹴にされたことも考慮し、周辺も探すが全く見当たらない。残念に思いながら、慰めに彼とよく似たまるごとソーセージを購入して帰ろうとするが、既に売り切れており、それすらも叶わなかった。

 

 

 えも言われぬ感情を抱きながら、店を出た瞬間、その姿はあった。

 

 

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 「まるごとソーセージ」である。

 

 

 信号機の何が入っているかわからない箱の上に善意の誰かの手によって運ばれたらしい。おおよそ地上から180cm、菓子パン棚よりも高い。本来、まるごとソーセージとして生を受けて見ることはなかったであろう景色を彼は見ているのだ。

 

 私は、そのことにえたいの知れない高揚を覚え、団地の明かりが煌々と彩っている住宅街の道を下って行った。

 

 

 末筆ではあるが、毎年「春のパン祭り」を粛々と執り行い、使い勝手の良い白い皿をくれる山崎製パンと、第一次産業に従事している皆様に深い敬意を示し、本日の日報としたい。

 

 

 ご拝読、ありがとうございました。よろしければ他の記事もタイトルだけでも見ていただければ幸いです。

 

 

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ハンバーグの配膳から考える過剰接客の話

 こんばんは、WoodLetterという者です。普段は鹿主体でお送りしています。さて、この間の記事にも書いたとおり、罰ゲームで1週間日報を書いています。まぁ罰ゲームって割には楽しいんでモーマンタイなんですけどね。

 

 それでは本日の日報です。

 

 

 日報も5日目、1週間を1日で例えたら、夕食くらいの時間だろうか。ちなみに今日の私の夕食はハンバーグだ。昼食にハンバーグを食べたところ、夕食にハンバーグを食べたくなった故のこのチョイスだ。

 

 さて、ここからは私の思いつきを書く時間だ。日報だというのに今日起こった出来事をマトモに書いたのが2日目だけという事実に、自らでも驚きを隠せない。

 

 私はよく、近所のガストへハンバーグを食べに行く。その時、かなりの確率でハンバーグを運んできた店員に掛けられる言葉がある。

 

 

 それが「こちら、お熱くなっているのでお気をつけください」だ。

 

 

 熱されたプレートの上に湯気を立てながら運ばれてくるハンバーグへの注意がけであろう。別に日本語の文法的には何ら問題のないこの言葉であるが、同時に丁寧にも、不親切にも捉えられる言葉であることに気づいた。

 

 「お熱くなっています」と店員は述べる。しかし、多くの客にとってハンバーグを始めとした肉料理が熱された状態で出てくるのは、共通認識であろうし、ましてやそこに湯気が立っているの見れば、ハンバーグを初めて見る人ですらも「これは熱いのだろう」という印象を抱くに違いない。

 

 こういった客に「お熱くなっています」と声を掛けるのは、良く言えば親切、悪く取れば過剰な接客となるだろう。「ご注文の肉です!」といいながら勢い良くテーブルに叩きつけるくらいで丁度いい。

 

 

 次に、店員の注意がけがなかったとして、「この料理、熱いじゃないか!」とクレームを付ける客が存在すると仮定する。この人はハンバーグという概念を知らないことは勿論、湯気を見て「熱い」とすら思えない、生存本能が極度に欠如しているガラス細工のような人間であるとプロファイルできる。ついでに常識がない上にクレーマーという二重苦のような客でもある。

 

 こういった客に「お熱くなっています」とだけ声を掛けるのは、非常に不親切であろう。この場合は上記のプロファイルを踏まえて、「こちら、牛と豚の挽肉に玉ねぎを細かく切ったものとパン粉を混ぜ、卵を加えて固めた上で、非常に高温で焼いた料理で、俗にハンバーグと呼ばれています。ご覧の通り湯気が立っているので、非常にお熱くなっています。したがって十分にハンバーグに対して警戒を払った上で、お客様のお口のサイズに合うように切った上でお召し上がりください。」と声を掛けるのが適切だと考えられる。

 

 また、ハンバーグを良く知っている客に対して過剰な説明をしないためにも、ハンバーグについてどの程度理解しているかを、注文前に5段階程度で質問をした上で、その理解度に適した声掛けをする必要性も生じるだろう。

 

 

 

 さて、上の文章を読んで「面倒くさいな」「何言ってんだコイツ」という感想を抱いた頃合いだと推察する。だが、大声を上げるごく少数が事態、ひいてはシステム自体(この場合は接客)を面倒で手間のかかるモノにしてしまうという点においては、ない話でもないだろう。

 もし、ハンバーグの例えが分かりづらいようであれば、マスクやパルプ製品の在庫不足に対して「申し訳ありません」と謝罪をする店員を想像していただきたい。

 

 確かに、クレームを厭い、過剰な接客をマニュアル化するのも、想像に難くない。しかし、こうした客に対する過剰な配慮が、一部の客を調子に乗らせた上、店員への負担を必要以上に重くしているのではないだろうか。そもそも549円(税抜)でハンバーグを2枚も食べている輩に何を配慮する必要があるというのだろうか、ショバを提供されるだけありがたいと思うべきだろう。

 

 

 末筆ではあるが、株式会社すかいらーくホールディングスと、ハンブルグの人々に牛1頭分の敬意を払い、本日の日報としたい。

 

 

 以上です。今日は社会派っぽくしてみました。ご拝読ありがとうございました。

「茶」という言葉からアヘン戦争を連想した日

 こんばんは、WoodLetterという者です。普段は鹿とコンビを組んでWoodLetterと名乗っています。さて、この間の記事に書いたように、茶を摂取してしまったので、日報を書いていきます。

 

 前半と後半で全然違うことを書いていますが、これは賢い文章を書こうとして失敗したということです。書き直すと、今日中に日報が終わらなくなってペナルティでプラス1週間されるので、書き直しませんでした。

 どうか生暖かい目でご一読ください。

 

 

 

 昨日の日報では、自らの器量の狭さについて披露したので、今日の日報は茶を禁止して気づいたことについて書こうと思う。一言で言うならば、今日の日報は中学社会の振り返りだ。日連続で書いているわけだし、好きだった分野の話をしても構わない頃合いだろう。

 

 

 茶を禁止されて、苛立ちを覚えたのは先日の日報の通りだが、その苛立ちの中で私は一つの歴史上の出来事を連想した。それが1840年に勃発したアヘン戦争である。

 

 中等教育をしっかりと受けている人間ならば存じている出来事だとは思うし、もしかしたら世界中どこの教育機関でも教えているのかもしれないが、簡単に説明させていただくと、中国(当時は清)と英国の間で起きた戦争で、アジアにおける大英帝国の植民地支配の切掛となった出来事である。

 

 この時点で感づくかもしれないが、この戦争が引き起こされた要因に「茶」が挙げられる。当時、英国は茶を中国から輸入していたものの、英国自体から輸出するものは少なく、当時の正貨である銀が流出しつづけており、これを嫌った英国が中国に対して、麻薬であるアヘンを密輸出した。当然、中国政府はこれを取り締まるわけだが、この対応に対して、英国が逆上して戦争へと発展することとなったらしい。

 

 

 勿論、19世紀の大英帝国の所業を鑑みれば、領土的野心が戦争の要因の大半を占めていたと考えるのが普通であろう。実際にアヘン戦争後、英国は香港の支配権を中国から「借りる」という名目で奪い取っている。

 

 しかし、茶を禁止されている私の立場からすれば、非常に不謹慎ながらも、茶だけでも戦争を「引き起こしかねない」と感じてしまったのだ。たがが嗜好品ごときになぜそこまでと思うかもしれないが、ここで私は茶の禁止を通して、あることに気づくことができた。

 

 

 

 それが、人間何かしらの嗜好品に依存性の多寡を問わず、依存しているものであるということだ。それが酒であるか、甘味であるか、或いはまた違ったものかもしれないが、何にも「依存」していないと言い切れる人は少ないのではないだろうか。そういった意味では私も「茶」に対して軽く依存していたことになる。当然、薬物のように嗜好品より遥かに大きな害を与えるものに依存しているのは問題だが。

 

 

 そして、もしこの「依存」に悩んでいる方がいるのならば、私は「日報」を強く薦める。自ら依存している物品を禁止し、もし破ってしまったら日報を1週間書き続けるというシステムだ。日報を疎んで、依存度を下げることができたならば一番だ。万が一欲望に負け続けたとしても、自分自身に向き合うことでの成長や、文章力の向上が期待できる。

 

 

 論理が3回転アクセルくらいに飛んでいるのは承知の上だ。正直に言おう、文章を書くのは好きだが、自らだけ日報を書く現状に全く納得がいかないのだ。なので皆さんにも同じタスクを共有してほしいという気持ちがあるので、前述の地点に着地させた。長い前フリもその為だ。

 

 

 末筆ではあるが、欲望に負け続けた上、成長も文章力の向上が怪しい我が友人・りょーたろー君と、コーヒーに高い関税を掛け、朝のコーヒーの代わりにビールを飲むことを推奨したプロイセンのフリードリヒ大王に多大なる敬意を払い、本日の日報としたい。

 

 ご拝読、ありがとうございました。

 

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3ヶ月「茶」を取らず、狭量になってきた話

 こんばんは、WoodLetterという者です。普段は鹿と戯れています。前の記事に書いたとおり、日報を1週間書く羽目になりました。この記事はその3日目です。具体的に言うと、1日くらいチョロマカシてもバレないんじゃないか、と思い始める頃合いでもあります。

 

 

 日報も3日目、今日で前半戦が終了といったところだろうか。忘れ続けたせいで、いつまで経っても前半戦のりょーたろー君はどの様な心持ちで日報を書き続けているのかが気になる。

 

 さて、今日はここ3ヶ月の間、茶を摂取しなかったことでの変化を3つほど書こうと思う。書かないともう1週間増えるので。

 

 

 まず、1つ目は、街なかで茶を飲んでいる人間に対して、僅かばかりの殺意を抱いたことだろう。自分は飲めないのに他の連中が飲んでいるというのは、理不尽を承知の上でも腹立たしく感じる。

 

 特に「とりあえずお茶でいいかな」なんて言うヤツには、静岡の茶農家に変わって天誅を下したい気分だ。貴様が「とりあえず」で飲んでいる茶は、1年間掛けて生育させた手間暇のかかっている代物だ。本来、伊右衛門は貴様如きが飲んでいいものではないのだと思い知らせてやりたい、貴様には出涸らしですらもったいないということを。

 

 

 2つ目は「茶」という言葉そのものに敏感になったことだろう。

 

 日本には古くより、「お茶でも飲みますか」や「お茶しませんか」という言葉がある。ネイティブなジャパニーズの人たちは知ってのとおりだが、この場合の「茶」とは飲み物全般だったり休息のことを差す。

 これを知っているか知らないかで日本人受けが随分違うので、海外出身の方にはぜひ覚えていただきたい。たぶん日本語検定2級くらいに出ている。

 

 しかし、この前提を知っていても、自らが「茶を飲めない」環境下に置かれると、逆鱗で爪を研がれる様な苛立ちを感じる。特に、この縛りプレイを一緒にやってる奴に上記のような言葉を言われると、本当に宣戦布告ではないかと感じることもままある。

 

 

 3つ目は緑色のモノに過敏になったことだろう。

 ガチャピンのことではなく、主にスーパーやコンビニに売っている緑色の商品のことだ。知っての通り、日本には抹茶味のモノが溢れており、往々にして緑色のパッケージだ。

 

 さらに、気を利かせたのか、私への嫌がらせなのかは分からないが、ご丁寧に抹茶味のモノを一箇所にまとめており、商品棚に擬似的な茶畑が完成していることも少なくはない。

 

 目には優しいが、精神には確かに打撃を与えてくる「緑」に対して、自衛反応という名の苛立ちを感じながら、売れ残り商品の宴とも言うべき夜のスーパーを駆け抜けて生活している。特にイチゴとチョコのシーズンも終わり、次は「緑」が群れをなして襲ってくることを考えると、カフェインを摂取していないのに夜も眠れない。

 

 

 

 ここまで書いて、私にはカテキンじゃなくてカルシウムが不足しているんじゃないかと感じた。このままでは性格の悪いヤツと思われるので、明日は茶を摂取しないことで気づけたことについて書こうと思う。

 

私が遊びに行くたびに「茶でも飲む?」と聞いてくるりょーたろー君と、雨にも風にも負けず、日夜茶畑の世話をしている茶摘みレディの強靭なメンタルに敬意を払い、本日の日報としたい。

夏も近づく八十八夜、それまで私は耐えられるだろうか?まぁ、耐えられていないからこうして日報を綴っているのだが。

 

 以上、本日3/15の日報でした。ご精読、ありがとうございました。

 

 

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「辛味」は味覚ではなく触覚ではないかと体感した日

 

 こんばんは、WoodLetterという者です。普段は鹿が主役です。前回の記事に書いたとおり、日報を1週間書く羽目になりました。この記事はその2日目です。

 

 

 

 2日前、近所のスーパーマーケットのおつとめ品コーナーに新たにシンガポール風焼きそば」つほど入った。いわゆる袋入りインスタント麺である。

 

 300mlのアルミ缶に入った正体不明の酒や、大方ひな祭りで売れ残ったであろうアンパンマンが描かれたひなあられなど、今日日需要が皆無であろう古豪が鎬を削るおつとめ品コーナーの中では、主食である彼らは3日と生き残ることはできないだろう。かくいう私も59円の値札が貼られた彼を、興味本位でセルフレジへと持っていった。この時点で残りはつだ。

 

 

 

 そして今日という日がやって来た。巷ではホワイトデーらしいが、義理チョコすら貰っていないので、私には一切関係ない。先日までの初夏を思わせるような気候は姿を隠し、最高気温8とは思えない、みぞれが降る極寒の日である。加えて、私の心にもそこはかとない寒さを感じる。

 

 

 この時点で私のOP(おでかけポイント)は0に等しくなっていた。しかし、私の部屋にはサバ缶しかなく、この冬が明ける頃には餓死してしまうほどの食料しかない。いや、一昨日買った彼がまだエコバッグの中に入っていたはずだ。

 

 

 そう思い立った私は、急いで電気ケトルを沸かし、丁度よいサイズの丼を取り出した。本来、袋麺とは鍋で茹でることを想定して作られている。

が、ここで一つ明言しておこう。どんな調理法でも栄養は一緒だ。慣れた手付きで麺とかやくを取り分け、お湯を注ぐ。

 

 

 待つこと分、「俺の居場所は丼ではない」とでも言いたげな、売れ残りインスタント麺の彼をほぐしながらあることを考える。

 

 

 

「湯切りが面倒だ。」

 

 

 

 元来、キッチンで湯切りをし、バコッとシンクの凹む軽快な音を楽しむのが、正しいインスタント麺のたしなみ方であろう。

 

 だが、面倒なものは面倒である。そこで私は、自室の雨戸を開け、庭で湯切りを試みた。寒いのを嫌って出かけなかったというのに、結局寒気に当たる羽目になった我が身を哀れに思った刹那、一つの結論が導き出された。

 

 

 

「間違いなく失敗する。」

 

 

 

 シンクならば、もし彼を溢したところで拾い集めればよいが、庭で湯切りをすることで土味の焼きそばが出来てしまうのは自明の理である。群馬県民でもあるまいし、仮に栄養があったところでそんなものを食べる趣味は毛頭ない。

 

 

 

 ……結局、シンクで湯切りをした。

「急がば廻れ」という格言と言うことすらおこがましい初歩的な言葉が、その時の私には寒気よりも酷く染みた。

 

 

 

 

 無事に湯切りを終えて、彼に附属のかやくを掛けた時、私は重要なことに気づく。

 

 

「もしかして、今私の前に鎮座する食事は『辛い』のではないか。」

 

 目の背けようのない事実だった。目を背けたところで、唐辛子という名の拷問器具は私の鼻腔を軽く、しかし確実に穿ってきた。

 

 

 

 だがしかし、作ってしまった以上は捨てるわけにもいかない、これを「食べない」などという、神に背くような選択肢はないのだ。確かなる覚悟を決めて「食べ物」かどうか怪しい彼を口に運ぶ。

 

 

 「痛い」

 

 

 彼に抱いたファースト・インプレッションだ。この時点で彼を「食べ物」だとは認識できなくなっていた。

 

 唇を焼き、口内炎を突く。そこに味などというものは存在しない、「辛味」とは味覚ではなく触覚、そう直感した。もはやインスタント麺ではなく「インスタント針地獄」とも形容すべき、水分が多分に含まれた彼を、私は額に汗を浮かべながらも完食することに成功した。

 

 その時の私の部屋は、確かにエスニックな香りで包まれていた。もちろん、年中日本の夏が続いている様な気候のシンガポールで、本当に彼が食べられているのかという疑問は抱いたが。

 

 

 もし私が閻魔大王だったら地獄に箱単位で発注するだろうし、蜘蛛の糸に縋ったカンダタだったらこの麺が天国から垂れ下がっていても、その先にあるものは天国という名の激辛地獄だろうから間違いなく無視する。

 最終的に、私が彼に対して抱いた感想は以上の通りだ。

 

 

……末筆ではあるが、去年の今頃エナジードリンクと言い張ってタバスコ瓶を一気飲みした我が友人であるりょーたろー君と、インスタント麺の開発者である安藤百福氏に敬意を示したところで、本日の日報としたい。

 

 

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軽い縛りプレイと生八つ橋の抹茶ケーキの話

 こんにちは、WoodLetterというものです。普段は鹿の世話をしています。さて、我々VTuber集団を自称する「ゆるぽか!」では、毎年リアル生活に些細な縛りを掛けながら生活しており、2020年は「禁止」を主題に掲げています。

 

 実例を上げると、軽度肥満で豚頭のりょーたろーチーズを、100kg超えでそこらの新弟子位なら勝てるんじゃねぇかという筋肉と脂肪を併せ持つ男・ふくぶちょ1食で2つ以上同時に主食を摂取する(例として米とパン)ことを、そして私・WoodLetterは「茶」をそれぞれ禁止されています。ちなみに私の「茶」は拡大解釈が過ぎた結果、三軒茶屋加藤茶まで禁止されているので、今年いっぱいドリフを見ることはできません。

 

 ただ、禁止事項を破ってしまっても、八つ裂きにされた挙句に三親等以内まで連座させられるとかいうこともなく、200字程度の日報を1週間書き続けるという、喉に魚の小骨が引っかかる程度の罰なので、そんなに辛くもないハートフルな仕様となっています。もし1回忘れてしまっても、プラス1週間されるだけなのでかなりイージーです。

その他にも細かい条件があるのですが、些末なことなのでここでは割愛します。「魚卵を乗っけるとセーフ」みたいな訳のわからないことが書いてあって混乱するので。

 

 さて、なんでこんなことを記事に書いたかと言えば、お土産にもらった抹茶菓子を食べてしまったからです。オフラインで眠らせるのもなんだかもったいない気がしたので、リライトしてブログの方にも上げることにしました。

 

 

 

 ついに私にも日報を書く日がやってきてしまった。今日この日まで、出先でお茶を出されそうになったら全力で拒否してきたし、ジュースがあると言われて冷蔵庫を覗いたら綾鷹が三本、味違いで鎮座していて発狂しそうにもなったが、今の今まで耐えてきた。しかし「お土産」という日本が誇る伝統的なストロング・スタイルで押し付けられてしまったからには、食べざるを得ない。

ちなみにこの土産を買ってきた人は、日帰りで嵐山に行ってきたのでもっとストロングだ。

 

 さて、結論から書こう。今回私が食べた「京町家ケーキ」は非常に美味かった。さすが茶菓子と寺社仏閣を主産業としている京都の土産菓子なだけある。詳しくはホームページを一読していただきたいが、端的に述べれば、抹茶ケーキを抹茶味の生八つ橋でサンドして、さらに抹茶チョコを加えるという企画者の脳髄が抹茶で浸されているのではないかと考察される一品だ。抹茶の暴力である。

 もちろん、3ヶ月に渡ってマトモな抹茶菓子から離れていたので、より増幅して旨味を感じた可能性も否定できない。しかし、私はその辺の店に適当に並べられている凡庸な菓子百般とは一線を画する、深い甘さを感じたのだ。また、それと同時に、普段我々が接している「抹茶味の菓子」について考えさせられた。
 

 近年、抹茶味の菓子の需要は増えている。「抹茶味」と掲げられた商品が売っていない店を探すほうが余程難しいかもしれない。それだけ抹茶味は根付いているように見える。しかし、実のところ市販の商品の多くは、甘みを強調するがあまりに抹茶本来の深みを活かしていない「なんちゃって抹茶」の商品が多いのは、抹茶クラスターの間ならば周知の事実であろう。

 しかし、この「京町家ケーキ」は違う。程よい甘み、茶の持つ風味、そして生八ツ橋でサンドされたケーキ生地。和洋折衷とはこのケーキの為にあるような言葉だ。これこそが抹茶菓子のあるべき姿だ。雨後の筍のように世に蔓延る「抹茶味の菓子」諸君には、是非見習ってほしい。

 末筆ではあるが、本来7日で良いはずの日報を忘れ続け、ペナルティとして1ヶ月以上不思議な日報を書き続けることで、グループ内での日報に対するハードルを下げてくれた軽度肥満で豚頭のりょーたろー君の身を挺した献身に謝意を示し、本日の日報としたい。彼には残り2ヶ月も頑張っていただきたい。私は残り6日で終わらせることとする。

 

 

以上です。ご拝読ありがとうございました。

 

 

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